奥村 吉田さんは光を素材というかテーマにして活動されているんですね。
吉田 最近はそうですね。主にカッティングシートを使った作品、光を取り入れた作品、光の集光装置(太陽光採光システム)を使った作品をつくっています。
奥村 集光装置って森*さんのですか?
*故・森敬(もり けい)博士
吉田 そうです。「ひまわり」っていう。
奥村 森さんがお亡くなりになってからは、あのシステムは進化してないんですか?
吉田 いえ、もっとコンパクトになって使いやすくなりました。自分は十何年前から使わせてもらっています。あの当時はあれをアートにしようという人はいなくて。たまたまテレビの経済関係の番組で見て、使えるなって。
奥村 太陽の光を使うものだと、くもりの日とか厳しいでしょう?
吉田 ええ、まったく見えなかったりします(笑)。でも、それも含めて作品だって言い切ってはじめたので…。
奥村 まあ、そうですよね。自然に合わせて変化する作品、ですよね。
吉田 はい。森さんが開発したのは太陽を追いかけて光を集めるハイテクな装置ですけど、ローテクな水鏡でつくった「虹ヲアツメル」という作品もやりましたね。
奥村 (写真を見て)虹を映しているのが白樺っていうのがいいですね。
吉田 最初はみんな水と光でつくったと信じてくれなくて、「色、塗ったでしょ」って(笑)。これは写真だけど、実際は水の揺れに合わせて色彩もゆらゆら揺れているんです。
奥村 すごくキレイですよね。光をはじめられたのは、いつ頃から?
吉田 91年ですね。虹をつくりはじめたのは94年です。
奥村 その前は彫刻か何かを?オブジェ的なものとか?
吉田 それ以前はジャンクアートです。車の解体部品をもらって貼り付けたり。アッサンブラージュっていう、あの系統をやってました。
奥村 きっと、91年に突然、光を思いついたってわけじゃないと思うんです。それ以前に何か起源があるような。ご自分の中で心当たりはあります?
吉田 かっこよくいうつもりはないんですけど、ジャンクアートで物質を扱っていて、それをやめた時に一度死んでいるというか。何もできない、何もしていない時期があるんです。
奥村 それは苦労したというか、苦しかった時代ということですか?
吉田 ですね。苦労したというか、まったく美術ができなかったんです。自分自身が立ち直れなくて、もう止めようと。でも、それがバネになって今があるんです。
奥村 その時代は、悪あがきはしなかったんですか?
吉田 しなかったですね(笑)。ただただ田舎から渋谷に出てきてハチ公の前でずっとぼーっとしているとか。家の近くの海で満月をぼーっと見ているとか。今思えば、無意識に自分がやってきたことを判読していたんだと思います。
奥村 外でひきこもりになったのがよかったですね(笑)。家の中だったら今ここにはいらっしゃらないかもしれない。
吉田 ですね(笑)。その後、いわき市美術館の展示で、天井の光を使って作品化しようということになって、それが光にいったきっかけです。ただ、その前やってきたことも含めて、自分としてはブレてないと思うんです。
奥村 ええ、私もそう思います。ブレは感じない。常に社会的なところを投射しているというか。昔はそれがマイナスに向かっていて、光は明るいところに向かっているような気がしますね。
|